【ぼむ・後記】2024

持病や年齢的な衰えをネタに、やや自虐的な話題で盛り上がるぼむのメンバーだが、私から見ると皆さんほとんど変わっておられない。見た目もさほど、さらには声の張りと話題の豊富さ、ボケとツッコミのリズムの軽妙さは安泰である。ぼむ展では永遠の青年達との語らいが一番の愉しみになっている。その次に各作品から頂戴する刺激、そして観覧に訪れる旧友らとの再会と続く。来年もまたこの充実した時間を満喫できますように。     (木村マルミ)

今回初めてぼむ展に来廊頂いた方が4組5人。昔からの知り合いだった人で…友人を通じて知り合った人…、この歳になってなお拡がる人とのつながり、ありがたいことだと思います。団さんが描/いていた広く浅く掘り進め 長く続けることの意味を重く感じる、わが道楽の無節操。無節操だからこそ、楽しく楽しくを前面に数年後、10数年?後を想い拡がりをも楽しみながら明日へ踏み出します。   (国府 弘昌)

「春だ– ぼむ展だ–」の掛け声よろしく 2024年の年明けから頭の中を形のないままぐるぐると回りはじめました。何を描くの 額装はどうする 絵の具は どう展示する?–そんな中 3月はじめ 紙製書類箱の蓋の部分(額として使用する)とそれにピッタリのF3のキャンバスが見つかり一気に制作が進みました。このパターンは画材店に長く勤めていた習性からのようです。燃やせる 軽い 場所を取らない SGDs作品になりました。今回 桜の開花が会期に重なり 春・桜満開のぼむ展でした。 (ののぐち・さとる)

2016年ぐらいから、メディア報道が偏向していると思い始め、当初は一般の報道どおりクレイジー男と思っていたトラ氏が攻撃していたヒラヒラら勢力すなわち世界のエリート層が、嘘報道に隠れ許されざる悪を重ねているらしいと知るようになり、そこから独立系英語記事に目を向ける。英語に慣れたくて英語本文も目を通す努力中。関心のあるテーマは「嘘」、一コママンガはトリックを使いオチで気づいてもらうのなので当分これでいいかなと。                  (柳たかを)

雨続きの日が続いていたがぼむ展の週は一転しての心地良い春の好天に恵まれ、絶好の展覧会日和となりました。会場に来られた懐かしい人たちとの再会で在廊中は途切れる事なくお喋りができました。私は7月に京都での漫画家協会関西ブロック展と8月に大阪現代画廊での個展があります。そこででも多くの新作をご覧いただく予定です。今年はカワキタくんが病欠となりましたが来年はみんな揃って展示できるようにと思っています。                  (篠原ユキオ)

病み上がりだった昨年のぼむ展は、ほとんど記憶にない。あれからー年!体調もぼぼ元に戻った今回はいままでになく取り組むのが早かった。一週間前にはあらかたアイデアと構図が決まっていたのだ。ただ珍しく雑事も重なり結局完成したのは前日、額装は当日といつもと同じ展開になってしまった。それでも納得するまで時間をかけられたと思いたい。会場は漫画展らしいよい展示になったと思う。来年も頑張ろう!     (外村晋一郎)

もうすぐ77歳になる。50数年も続けてきた展覧会に、老若男女の友人、知人たちがきてくださる。ありがたいことだし、嬉しいことだ。1コマ漫画を描いていた時代から、34コマの「木陰の物語」という短い物語漫画家になって25年経った。漫画の本もたくさん出すことができた。続けてきた成果だとは思っているが、運が良かったのと、ここまでたどり着けた仲間たちには感謝を伝えたい。(団 士郎)

【ぼむ】と漫画とこれから  20240402

「ぼむ」は1971年の春に関西在住の4人の大学生が大阪で立ち上た1コマ・漫画の同人誌に始まります。設立メンバーは団士郎、山口博史、宮本章博、篠原ユキオの4人でした。 その後 国府弘昌、うめたに・えいぞう、ののぐち・さとる、外村晋一郎 桂べかこ(現.南光)、柳たかを、カワキタ・カズヒロ、木村マルミが参加、途中で 宮本、うめたに、山口は退会して現在は残りの8名で活動を続けています。 活動は季刊での同人誌の発行と平行して年に数回の漫画展を開催してきました。 発足から現在に至る53年間、休むことなく続いている毎月の例会は、漫画に限らずお互いの趣味やさまざまな情報交換の場であり、それぞれに刺激し合いながら今も新しい作品を生み出す場となってきたのです。 一コマ漫画を取り巻く状況は発足当時から必ずしも明るいとは言えない状況でしたが、当時はメンバーが出会うきっかけとなった大阪産経新聞をはじめとして関西の新聞各紙には、アマチュア漫画家の力試しの場として投稿欄が激減し、またその質の低下も目立ちます。印刷物としての同人誌ぼむの発行は1992年の35号をもって休刊となりそれぞれの作品発表の形態も多様に変化してきましたが、ぼむ漫画展はこうして毎年途絶えることなく続いてます。 メンバーも半数以上が既に後期高齢者となり身体の衰えを感じること多くなってきました。例会でも病気や終活が話題になることが増えました。今年は残念ながらカワキタカズヒロは体調不良のため不参加となりました。しかし、一コマ漫画に向かうエネルギーは20代の発足当時より、変わりなく作品は歳を重ねるごとに熟成されているように思います。          2024/ 04/02  篠原ユキオ

【ぼむ・後記】2023

日本の1コマ漫画界は描き手も読み手も高齢化が進み、複数の古い馴染みのファンからも体調が優れないとか、遠出が無理とかいう理由で来れない連絡がありました。そんな中、観光客でいっぱいの京都まではるばる遠方から長距離バスや新幹線でお越しいただいた皆さんには心からの感謝です。「春は京都でぼむ漫画展」というのが定番になってきましたが来年は不確定です。ギャラリーに耐震工事をする計画があり昨年からその話が出ていたのですがまだはっきりしない状況とかで来年の予約は出来ておりません。また詳細が確定次第告知させていただきます。1コマ漫画の未来と向き合って52年間を過ごしてきましたが、ぼむの歴史はまだまだ続きます。(篠原ユキオ)

ぼむ展に参加させて頂いたのは1985年の読売国際漫画大賞で受賞してまもなくでしたから、振り返るともう37〜8年ですか、、、マンガといえば物語漫画ですが、オチのあるアイデアで成立するのがひとコママンガのポイントで、他に似たような形式ではSFショートショートがあります。ワンシーンに「はてな?」と見る人に疑問を持たせ、意味がわかるとズルズルとあるいはバァ〜っと背後にある狙いに気づく。その醍醐味に飽きることはありません。(柳 たかを)

ぼむ展のお知らせはほぼSNSでということになっている。年賀状をやめてから、住所は知らないでやり取りしている人も多い。誰に案内が届いているかわからないところがあるので、思いがけない人の来場もある。今年も「おぉー!」と思った人との再会があった。同窓会のような展覧会にするつもりはないが、年賀状みたいな感じはなくもない。全国あちこちに招かれて、いろんな場所で「木陰の物語」漫画展ができるようになった。こんな風に歳を重ねていくのだろう。  (団 士郎)

毎年、桜の季節とともにボム展が開催される。今年で古希・・・・、あと何回展覧会に参加できることやら。
あと何回桜を見れることやら、帰り道に加茂の桜に問うてみる。 (カワキタ・カズヒロ)

過去発行の同人誌ぼむの作品に忍者テーマのものがいくつかあり、ここ数年のぼむ展でも忍者ものがいくつかあり、統一テーマでやってみようと今回の作品。来年はグループ全体での統一テーマもとの意見もあり、そうなった場合の訓練もかねてなんてね・・・。     (国府 弘昌)

 今回のぼむ展!スッキリした展示で見やすく良かったと思います。ただ私としては、昨年の手術後体力がまだ戻らず、集中力が続かないわけでいつものように準備していたら、アイデアも制作も共にもたついてしまった。時間ばかりが過ぎて行き焦るばかり。作画を開始したのは搬入の前日だった。まさに非常事態だ。おまけに額装は画廊でという…為体。反省してます。今思うと、展示できたのが奇跡でした。とにかく無事終了して心の底からほっとしています。(外村晋一郎)

今日は「春はぼむ展から」の最終日です。私めの4月1日誕生日もあり、桜満開も迎え、京都への文化庁の移転や、コロナも3年目でやっと終焉らしき様相の会期でした。そんな慌ただしい中、足を運んでいただき.作品をご覧いただいたこと感謝いたします。画の上に文字をどうー入れるかといった(自画自賛)はもとより額装は?展示は?の(自装自展もテーマの一つでした。最初は苦戦の程でしたが楽しくやれました。今 次回作品に考えがいってます(ののぐち・さとる)

トレンドや時事はそっちのけで相変わらずカビ臭いものを掘り起こし、古い絵を描いている。歳時記は2年目で、四季を一巡したが、前年買い求めてくれた人が(季節で額の中身を入れ替えたいから)とリピート頂けたケースが2件あった。Instagramで同ネタは継続することにして、展示を3年やると??なので来年に向け、やっぱり古いけれど新しい何かを探している。  (木村マルミ)

【ぼむ・後記】2022

1984年から参加させて頂いてはや47回目、それまでは案内状を頂いたとき大阪老松町にある会場の現代画廊をのぞかせて頂いたぐらいで、篠原さん以外のメンバーとちゃんと話したこともありませんでした。 誘って頂いたときに考えたことは、ひとコマまんがを描き続けるには、「OKすべき!」という直感が迷いに まさったと思います。理由は「ぼむ展」には、ひとコマまんがに対する真摯な姿勢が感じられ、参加することでひとコマ創作の情熱を維持できると思ったのでした。 (柳たかを)

このところ毎年のように新作掛け軸三点(6本)を定位置展示している。同様に、初日から最終日まで、昨年、一昨年も来場いただいた方々が、ほぼ同じペースで、見に来て下さっている。メールで事前に時間調整しているので、会い逃しはないと思っていたが、お一人、来場されたのに、先客との話が盛り上がっていたからと作品だけ見て帰られた方があった。ひょっとすると、他にもあったのかもしれないのが気がかりだ。 (団 士郎)

搬入出日と中一日しか行っていないので、あっという間に会期が過ぎた感じ。それでも懐かしい記憶を呼び起こすには充分だった。二十数年ぶりに声をかけて頂き、半分迷いながらも参加させて貰ってよかった。作品作りも もちろんだが、まず、ぼむの皆さんとのお喋り。そしてギャラリーを訪問してくれた方々との会話。長いコロナ自粛から目覚めるための、心地よい刺激を沢山いただいた。感謝します。 (木村マルミ)

毎年よ彼岸の入りに寒いのは 子規 この句が好きだ。前年は「おかんがいうには・・」の吹き出しを付けた作品を描いた。今年も「毎年よ・・」の言葉どおり出品できたこと、「春はぼむ展から」 と足を運んでいただいた方々に感謝。21日(春分の日)の搬入から27日搬出まで 7日間 の画廊通いを終え、心地よい疲れがある。 また 来春 余花庵で see you again .

(ののぐち・さとる)

今年はマンボウが明けた日が初日となり、昨年予約した時には考えもしていなかった。結果的に連日盛況で濃厚な一週間だった。南光さんに参加していただいたトークイベントの日だけは早いうちから大雨予想が出ていて、それで開始の時刻には多くの人が早めに家路についてしまった。それならばとレイアウトを円座懇談会風の作りにしたのは結果的には正解で、こういう動きの速さが少人数のグループの良さだなあと思ったものだった。 (篠原 ユキオ)

やりたい事を楽しくやっていくとのコンセプトで原点に戻って。朝ドラの「おいしくなーれ〜」のごとく、おもしろくなーれ〜と唱えないけれど思いの筆を進めました。また来年も楽しくやれるよう一年を過ごして行きたいと考えます。今回小2年の同級生と66年ぶりに対面対話できたこと等、コロナ禍の中久しぶりに旧知の多くの方と近況を対面で交換できたことは貴重な時間だと感じました。漫画展を通じての交換を大事にしたいと思います。 (國府 弘昌)

今年も春の訪れとともにぼむ展が無事終了した。数年前まではメンバーのほとんどが職を持っていたため 忙しい合間を縫っての作品制作をしていた。ここ 2,3年は皆さん年金生活者になり有り余る時間の中での作品制作をしている。作品上はそれほど変わらなくても制作する上でこの変化は実に大きい。1年の自由な時間はたっぷりある。でも、トータルで考えると老人に残り時間は少ない。今までとは違った漫画や絵画制作を考えてみるのもありかなと思った。 (カワキタ カズヒロ)

一年ぶりの顔合わせだ。やはりズームと違いしっくりくる。特に漫画トークでは設立当時の懐かしい話や各メンバーの漫画観にふれ一気に若き頃の自分に戻ったように感じた。 高校三年で「ぼむ展」に足を運び、一コマ漫画の魅力に はまった時のことを思い出す。そして描けるものの中からアイデアを模索していたなあと思う。そうではなく描きたいものを追求するべきだったと悟った。「遅いわ!」と自分にツッコミながらも楽しい時間だった。 (外村晋一郎)

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